ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
遅まきながらの「断捨離」
遅まきながらの「断捨離」

かつてのベストセラー「断捨離」を読みました。カミさんが「今さら?」と眉を顰めたように、ブームになったのは2010年、当時は「引っかかってこなかった」のですが、いやいや、すっかり魅せられてしまって、本はあっという間に赤ペンだらけになりました。

これは著者も書いているし、私がすっかり誤解していたトコロでもあるのですが、ここで提唱されているのは単なる「節約のススメ」「清貧のススメ」ではない。モノを捨て(捨)、新たな購買もやめる(断)ことによって得られる境地(離)は気持ちイイですよ、というメッセージ。「自分が目指す生活はこれに近いものだったのだナ」と教えてもらったような気がするほどです。

著者はヨガの「断行」「捨行」「離行」から発想した、ということですが、ヨガの本ではないのでそれぞれの「行」の説明はない。それでも「気」という単語がやたらと登場するほか、「断捨離は暮らしのメンテナンス作業でありながら自己探求ツール」「モノに自分を高めてもらう」「部屋の中に滞っているものを物理的に取り除いていくことによって潜在意識に大きく作用していく」「すべてのモノは神様と地球からの借り物」などの記述は「ほとんど宗教」のレベルともなっていて、ダメな人には徹底的にダメでしょう。しかし私にはどれも納得できるもの。例えば「家運を上げるるならまず玄関をクリアに」というメッセージはかつて私がこのブログで書いた「脚下照顧」のことです。

しばらくこの断捨離の実践に努めてみようと思っています。心境の変化などはここでご報告していきます。

追記1
公式ビジュアルムック「見てわかる断捨離」も買いました。断捨離の仕組みがすっきりとまとまっているほか、実践例が写真付で載っている、しかも680円という信じられないような価格です。まず前掲の基本書を読むことをオススメしますが、もし断捨離に興味を持ったらこの本も外せないでしょう。

追記2
前回記事にも書いたように人事異動がありました。私は微動だにせず、それどころかますますハシゴを外されるサラリーマン人生が明確になってしまったようです。泊まりシフトも継続するほか、今度は土曜の担当になるので福聚講の行事にも参加できないという「佛縁遠心力人事」でした。これまでいただいた佛縁は永劫、生かすのは自分の心持ち次第ですから、これにメゲることなく自分の信じる道を進んでいく覚悟です。
スポンサーサイト
菊地直子のウェディングドレス
菊地直子のウェディングドレス

逃亡を続けていたオウム真理教の菊地直子と高橋克也が逮捕されました。「最近、やけに駅に警察官が多いな~」と感じていましたが、高橋を探すとともに、オウム側による奪還などの集団行動を警戒する、という面もあったそうです。地下鉄サリン事件から17年も経つと記憶はなんとなく風化してしまっているものですが、逃亡する者、社会を守る者、当事者たちにはまだまだ継続中の案件なのだと思い知らされました。

オウム真理教が犯した事件の数々は本当に許せないし、個人的な思いもあります。当時のカミさんの勤務地は霞が関でした。地下鉄サリン事件の当日はたまたま自宅の引越しで、カミさんは有給休暇を取って私と準備をしていたところ。テレビのラインも抜いていたので、引越し業者さんに「大変な事件が起きましたね」と言われるまで発生を知らなかった。そしてカミさんの通勤はまさに当該時刻ころの日比谷線だった、という。もし有給休暇でなかったら巻き込まれていたかもしれなかったのです。だから村上春樹「アンダーグラウンド」などで知るサリン後遺症に苦しむ方々のことはとても他人ごとではないという感覚があります。

そして菊地直子。歳月による容貌の変貌ぶりにまず驚いたものですが、その後は「ホームヘルパー2級を取得してしっかり介護をしていた」「割引券持参で美容室に来た」など潜伏生活のディテールが報道されました。オウムに入信していなければ、そして一連の事件さえなければ菊地が送ることになっていた普通の人生がそこにあるように思えたのです。さらに潜伏していたあのボロ家からは同居していた男と撮ったウェディングドレス姿の写真も押収、「結婚式ができなかったから撮った」と供述してるといいます。サリン被害者はもちろん、菊地直子もまたオウム真理教の被害者のように感じてしまいました。当然ながら、だからといって一連の事件で他人のささやかな幸せを奪ったことは忘れてはいけない。菊地の場合は殺人などの重大犯罪に問われないという見通しです。罪を償って、今度はビクビクしなくてもいい普通の幸せな人生をやり直して欲しいと思うのです。

一方の高橋克也。菊地とは違ってこの男は殺人や死体遺棄など教団の犯罪の中枢部分に深く関わっていましたし、報道によると逮捕されれば重い罪に問われることを自覚していたフシがある。このために強い意思で逃亡を続けたのだろうが、結局わずか10日あまり川崎周辺をウロウロしただけで捕まった最後の姿には哀れさも漂います。英国人女性殺害の市橋にしても、近影が大々的に報道されて人口に膾炙してしまうと、もう逃げ場がなくなることがわかります。それにしてもあれだけの犯罪を犯して、さらに強い意思で逃亡しながら、逃亡前に「職場の人間に迷惑がかかる」と電話しているとはどういう感覚だろう。人間とは結局半径5メートルの生活範囲における肌感覚を最優先にモノを考えてしまうのですね。だから毎日の心がまえや習慣が大切なんだ。四国遍路や高野山参拝といった大イベントもいいが、読経や筋トレといった日課を疎かにしないようにしよう、と再認識です。

佛道ブログらしい結論になりましたね。かなり強引ですが。
幸せのモデル
幸せのモデル

NHK「ニュースウォッチ9」。先代のなんとかいうキャスターはありきたりで空虚なことをNHK的尊大さ丸出しで吐きやがるので(汚い日本語になってスミマセン)、利害関係がないこちらまで腹が立つやら悲しくなるやら、はっきり言ってたいへん不愉快だったのです。それに比べて現在の大越健介キャスターはなかなか鋭いことも言ってくれますし、そのソフトな語り口も好きなのですが、大学時代からの友人は「ピッチャーだったあの大越だよ」という。調べてみると東大のエースでほぼ同年代、ということは母校の応援に通った神宮の対戦校のマウンドで何回か見ていたわけです。さっぱり覚えていなかったけど(私は東大卒ではありません)。その大越キャスターが石垣島で俵万智さんと対談した日のNHKをたまたま自宅で見て、俵さんが早大アナウンス研究会のアルバイトとして六大学野球のウグイス嬢をしていたことを初めて知りました。こちらも声を聴いていたことになるなー。

先日、俵さんが日経のコラムでその対談のことを取り上げていました。そこで印象に残ったのが以下のくだり。長くなりますが引用します。「子どもに関して言うと、かつては『人に迷惑をかけない、自立した人間』になってほしいと願っていた。が、震災後は『迷惑はかけないほうがいいけれど、かけてしまうときには、周りからそれを許される人。自立も大事だけれど、人は結局一人では生きていけない。ならば、困ったときに助けてもらえるような、人とのつながりを、うまく築ける人』になってほしいと思うようになった。」うーん、考えの浅い私は、「子どもにはまず自立した人間になってほしい」と願っているだけでしたが、さすがは歌人・俵万智、いいことを言うものです。

同じコラムのおしまい部分で俵さんはこう書いていました。「大越さんや私は、子どもの頃は高度成長期、その後のバブルも経験した。幸せのモデルが、わかりやすい時代だった。今は、そういうモデルはない。だからこそ、人から見てではなく、自分が何を幸せと感じるかが問われているのではないかと思う」。私もその世代です。そして、無意識のうちにその「モデル」を我が子に押し付けているかもしれない、と思いながら、規範とすべきモデルをほかには知らないのです。「たとえどんな逆境にあっても、『自分の幸せ』を見つけることが大切」ということは知らせたいのですが、「幸せはカネでは買えないが、カネは不幸を遠ざけてくれる」のもまた真理だと思っています。佛道で「布施」のひとつとして財産を施すこと(財施)を奨励しているのもこのためです。「カネなんて幸せにはまったく関係ない」という態度があるとすれば、それは偽善でしかありません。

学生時代の友人から「金沢へ転勤する」という連絡をもらい、急きょ送別会的飲み会の音頭をとることになりました。思えば私の人生、小学校も中・高も大学も、ほとんど同窓会というものが行われない。なんとも薄情なものですが、自分で率先して仕切ることもしないままアラフィフになりつつある。上記の友人は業界就職のための大学横断的勉強会つながりなので、せめてこういう機会に同期会くらいはやろう、ということです。決してこれは俵さんがいうところの「困ったときに助けてもらえるようなつながり」という実利的な目論見からではありません。我々も社会に出て20年以上、「元気に懐かしく顔を合わせられることのありがたさ」をしみじみ感じられるような会にしたいものです。

今週末の神宮は恒例「春の早慶戦」です。大越投手や俵さん、そして私が青春を過ごした現場のワクワクした熱気を実感させたくて高校生の長男を誘っていますが、単純に迷惑顔をされています。ひとりで行こうかなー。

<追伸>
本稿は俵さんの名言をきっかけにマインドマップを駆使して書きましたが、論旨が全然まとまりませんでした。マインドマップも使いよう、だな。
「ワクワクすること」にワクワク!
「ワクワクすること」にワクワク!

このたび遅ればせながらRSSを導入、主にライフハック系・アプリ系・ガジェット系の記事を雑誌感覚で楽しみながら、興味と知識の範囲がー気に拡大しています。それに伴って世の中の面白いモノに出くわす確率も増える好循環に入っていますので、お知らせデス。

「幼年期の終わり」
言わずと知れたアーサー・C・クラークの代表作にして「SFの金字塔」ですが、そもそもSF小説のいい読者ではまったくないことを痛感しているだけに、この名作もタイトルを知っているだけの「喰わず嫌い状態」でした(小説はダメでも映像作品の「スターウォーズ」「サンダーバード」「スタートレック」は偏愛しております)。今回「幼年期の終わり」を手にしたきっかけは上記RSSで見かけたSF「ブラッドミュージック」の書評からで、そこで絶賛されていた当該作には手が伸びないままなのですから、まこと「縁」とは不思議なものです。

絶対的な「善」で地球上の人類にユートピアを具現させるオーヴァーロード(上主)たる宇宙人、それに抵抗しようとする天文学者。「宇宙人による人類の飼育」というSF的には(多分)お馴染みの設定ですが、哲学的命題をはらみながらグイグイ読ませる一級のエンターテイメントです。現在第2部を進行中です。

「ONE PIECE」
友人の同僚が「悪そうな釣りキチ三平が出ているヤツ」と認識している国民的コミック。最近のあまりの盛り上がりぶりが気になっていたところ同年代の男に「今や財界人も『ONE PIECE』について発言する時代です。常識として読んでおいた方がいい」と諭され、そこに居合わせた新入社員がこのたび冒頭の3巻を貸してくれたもの。コミックを読むのが久しぶりだったのでまずは「流れ」を追うコミック勘を取り戻すのに時間がかかりました。ひと言で言えば「予想通りに面白い」「『友情・努力・勝利』をキーワードに掲げる少年ジャンプのまさに王道」「随所に出てくるキメ台詞が人気のモトなんだろうナ」というところです。66巻までこの調子なのかな?いやいや、それだけならここまでの社会現象にはなるまい、きっと大きな質的変化が起きているのだろう。しかし、1巻に90分かかるとして、66巻で99時間。土日はともかく、平日の自由時間が週に10時間として、2カ月半はひたすらこいつだけとお付き合いするのか!?10代20代ならまだしも、アラフィフの人生にそんな余裕はないと判断いたしました。新人のIくん、貸してくれてありがとう。

マインドマップ
「英国の教育者トニー・ブザンが開発した自然な形で脳の力を引き出す思考技術。記憶力・理解力・集中力・創造的思考力・問題解決力などの、さまざまな能力を高めることができます」(「マインドマップ超入門」のカバーより)って、オイオイ、そんなガマの油みたいな万能薬があるわけないゾ、と思いつつも気になるところ。騙されたと思ってじっくり取り組んでみようかな、と思っています。ま、「ONE PIECE読み耽り」よりは効率的・建設的な過し方ではないかな。「どなたか情報くださーい」とFacebookで呼びかけるも、いまのところ友人からは返答ナシ。

<追伸>
こんな日々なので佛道教理の学習は進展しておりません。正直に告白するなら、難所「アビダルマ」ですっかり停滞してしまいました。恐るべし、アビダルマ。
テレビってえ奴は・・・
テレビってえ奴は・・・

5月17日号の週刊文春に各局のTVドラマをバカにする恒例の(?)記事が載っていました。テレビや芸能人をクサさせればその切れ味は文春が天下一品です。もちろん記事は週刊誌ならではの他愛もない「悪口芸」で(ホメ言葉デス)相変らず楽しく読んだのですが、気になったのがラスト近くのこの文章。「『こんなモン見る奴しかテレビを見てない』という状況に、さらに拍車がかかった気がする。」うーん、テレビって今やそういう風に思われているのかな。

視聴率というものをある程度継続的にウォッチしてみると、やはりいわゆる「テレビ離れ」という現象は実感として否定できない。以前にはポロポロ見かけた20%という数字には滅多にお目にかからず、いまや15%は「ヒット」となっているではありませんか。特に若い世代のテレビ離れはデータにも現われていて、2011年(平成23年)のアスキー総合研究所の調査ではすでに20代では7人に1人程度(13.5%)がまったくテレビを視聴していない、ということです。実際、ウチの高校生の長男はダラダラと録画行為はしているようですが、熱心に視聴しているようすは、ない。

佛道ブログですので「テレビ離れ」を詳しく論じるつもりはないのですが、空前の低視聴率でついに打ち切りが決定したフジテレビ日曜9時の「家族のうた」は、やはり安直さが際立っていた気がしてなりません。少し前にやって評判になった「マルモのおきて」にも似た「どこかで見たようなお話」に付き合ってくれるお客さんがまったくいなかった、ということをどこまでわかっているのか。フジテレビは「脚本類似問題がネットで叩かれたのが痛い」的なことを言っていますが、この記録的惨敗をそんな些細な要件にだけ「おっ被せる」なら、本当にテレビってえヤツの未来は暗いでしょうね。

もっとワクワクさせてくれよ、テレビなんだから!

あ、佛道と全く無関係のまま終わります。スミマセン。(このブログでは名前も職業も明らかにしておりません)

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。