ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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私の高野山
私の高野山

高野山へ行ってきました。

記録を見返すと高野山参拝はこれが9回目でしたが、今回はちょっと緊張した参上でした。というのも、前回の参拝は何故かあまり真剣に取り組めず、2日目には早々に山を下りて大阪観光に切り替えてしまった、という苦い思い出があり、10ヵ月も足が遠ざかっていたのです。

ひとり旅の参拝というのはなかなか"技術"と"運"が大切です。これが家族や仲間と一緒であれば、おしゃべりしながら遠足気分を味わってなんとなくのカタルシスを感じて帰ってくるのでしょうが、なにしろ話し相手もおらず、黙々と移動、黙々とお参りをするだけです。時折フト「時間とカネを盛大に費して、オレはいったい何をやっているのだろう」などと考えてしまう。会社や家族のことも思い出す。四国遍路ほどではありませんが、自分と向き合うことを強いられるのです。予定したことをやらなくても、誰にも咎められない。いや、咎めてくれる"何か"を意識するかどうかがポイントになります。今回も未明の奥之院参拝を「計画」、午前3時にアラームもセットしていましたが、イザその時刻になるとどうしてもベッドから出られない自分がいます。「東京の激務の疲れが残っている」「2日目の行事に体力を残したい」「沐浴の冷水を浴びるのが億劫」など、言い訳はいくらでもある。「お大師さま、すみませんッ」と布団を被ってしまえばいいだけのこと。しかし分かっているのです、それをしてしまったらその選択をかなり後悔することも。出発前にT師から「本当におめでとうございます。高野山へいけるだけでおめでたいのです。」とのメールをいただいていました。そう、私には参拝にあてる時間と金銭的なゆとりがある、そしてなにより高野山にまた来られたというご縁があったのです。結局、4時半に起床して奥之院をじっくり参拝しました。お大師さまのご廟の前、白々と夜が明けていく中で読経をするのはなんともいえない感覚です。

ガツガツするのもよくありません。競馬でいう「入れ込む」感覚ですね。『入れ込むとは、パドックやレース前の時点で、馬が落ち着かず興奮した状態のこと。入れ込んでしまうと、体力を消耗したり、レースに集中できなくなったりして、レースで成績を出せない場合が多い』~競馬用語辞典より。今回は直前に予想外の会社泊まりが発生するなど体力的にヘトヘトに近い感じだったので、往路の飛行機と南海の車内ではグッスリと眠ってスッキリ気分、「まあ、ノンビリ高野山を楽しめればいいや」という力の抜けたスタートでした。これは自分として「運がよかった」といえるものです。

こんなこともありました。山上ではいつものように「高野山参与会」の輪袈裟を首にかけます。そして着たり着なかったりする「南無大師遍照金剛」の白衣(びゃくえ)を今回は着用しました。やはり形を整えると心根も定まるのでよかったのですが、ちょっとした「誤解」も招いてしまったのです。この白衣はいわばお遍路さんスタイルの象徴で、高野山でこれを着ていることは、八十八カ所を「結願した」(すべて廻り終えた)お遍路さんがお大師さまに御礼に参上する「御礼参り」ということになる。そして私は4年前の休職時に40番まで廻ったもののその後は止まったままの「ヘタレ遍路」です。ところが、1日目に昼食をいただいた喫茶店のマスターから「お遍路さんですね?これを」と100円のお接待を差し出されてしまったのです。なにしろ思ってもみなかった事態です、咄嗟に「お遍路さんがこうしたご厚意を断わるのは却つて失礼にあたる」という四国での決まりごとを思い出して、有難く頂戴しました。しかし、後から考えます。「4年も四国から遠ざかっている自分は果たして『お遍路さん』と呼べるのか?このお接待を受けてもよかったのか?」。しかし白衣を着ていながら「いや、自分は実はナンチャッテ遍路なのでいただけません」というのもヘンだし、まさか戻って返すわけにもいきません。それに「いつかは四国遍路を結願したい」という気持ちは確かにあるのです。この100円はその将来の『もどり遍路』(『もどりガツオ』の捩りですが、こんな用語はアリマセン。為念。)が頂いた、ということに決めました。

高野山では3年後の「高野山開創1200年」へ向けて中門の再建という大事業が始まっているので、その宮大工さんの作業を見学できる施設があったり、柱に使われたヒノキの切り株を見たり。なによりその中門がかなり外観を整えて、朱塗りの構えも垣間見えるのが壮観です。「開創1200年法要」は平成27年4月から。次の「1250年」はもうこの世では見られないし、法会の際には非公開の国宝不動堂も内覧できるとの情報があり(未確認)、楽しみにしています。それでも参拝も9回目となると、どうしても観光客的視点からの新鮮さはありません。せいぜい霊宝館の展示物が少し入れ替わっているのが「オッ」というところでしょうか。こうなると参拝以外の「体験」が貴重です。今回は1日目の夕刻に総本山・金剛峯寺の前に掲げられていた「阿字観体験」の看板を発見、すぐに参加予約の電話をしました。「阿字観」は密教の瞑想法で、分かりやすく「密教禅」と言うこともあるようです。参拝ホームグラウンドである自宅近くの高野山東京別院で川上先生が主催している実習会には時おり参加していましたが、股関節を痛めた去年からは足が遠ざかっていたところでした。なによりも通常の参拝ルートでは立入りが許されていない金剛峯寺の「阿字観道場」に入ることができるだけでも素晴らしいこと。1日に数回開催されますが、滞在2日目の希望した回は2回とも「すでに予約が一杯です」。その後の回では復路便に間に合わない。“仕方なく”朝イチを予約したのですが(未明の奥之院参拝後の二度寝タイムが削られるのを避けたかった)、これが結果的に大正解、なんと参加したのは私を含めて僅かに3人だけだったのです(定員は20人)。先生も「3人でヨカッタですね。あまり大人数ですとなかなか・・・」とのことでした。内容は阿字観の前段階ともいえる「数息観」(すそくかん)、つまり呼吸法を丁寧に教えていただくものでした。阿字観ではないのでいささか「看板に偽りアリ」かもしれせんが、いきなり本格的な阿字観に入るよりも堅実な在り方かもしれません(川上先生のやり方がおかしい、という意味では決してありません)。そして私は、ここでこれまでにない深い境地を経験、「ああ、瞑想状態の入口というのはこういうものだったのか」と初めて実感できたのです(まあ、シアワセな勘違いという可能性もあります)。この「阿字観体験」は主に週末だけの限定開催なので、行かれる方は金剛峯寺のホームページで日程を確認の上、(できれば朝イチの回を)予約して下さい。また、高野山ではこれ以外にも、「授戒」「写経」が大師教会でいつでも体験できます。

今回初めてお参りしたのが「お助け地蔵」です。各種の高野山案内に載っているのを見たことがなくこれまでは存在も知らず、今回たまたま大門付近を散策していて看板を見つけた次第です。大門から林道を100mほど入ったところに小さなお堂があり、きれいに掃除されていることから、しっかりと守っている方がいることがうかがえます。なんとも素朴なたたずまいの石仏で、波長が合ったのでしょうか、私もすぐに好きになりました。お堂にあるノートの書き込みから毎日数人はコンスタントに参拝に訪れていることがうかがえ、“町から外れた場所にいる”“有名でない”“非公式の”仏さまとしては意外な盛況ぶりを頼もしく思いました。帰京後にインターネットで調べると、最近テレビで紹介されたのがきっかけで人が集まるようになったということで、そこにはなんとなくガッカリ感もあるのですが、まあ各地の有名な寺社仏閣だって本や口コミという昔ながらのメディアを膾炙して名を広めてきたわけですから、テレビだけを蔑視してはいけません。結局こちらには2回もお参りしました。

<高野山参拝のヒント1>
高野山へは大阪(難波)から南海電車を利用することになりますが、「高野山・世界遺産きっぷ」の利用がおすすめです。往復の乗車券が割引になっているほか、山上でのバスが2日間乗り放題で、かなりお得な計算になります。南海の難波駅窓口で購入できます。
<高野山参拝のヒント2>
難波から高野山までは通常運賃だけでも行けますが、760円の追加で特急こうやも利用できます。乗り換えなしのタテ座席はやはり楽チンだし、朝の通常列車ではマナーの悪い高校生の集団に遭遇して辟易したこともありました(彼らは特急には乗ってきません)。往路では座席は「右側」を指定しましょう。橋本以降の景色が断然いいし、午前中なら日差しを浴びずにすみます(当然ながら復路では左側ですが、今度は西日を浴びます)。
<高野山参拝のヒント3>
ケーブルカーで高野山に到着した後はバスに乗り換えることになりますが、その際には駅前のバス営業所で時刻表の載ったチラシをゲットしましょう。バスは本数が少ないので、これがないと山上での移動で時間を大きくロスすることになりかねません。山上の見どころマップも兼ねています。
<高野山参拝のヒント4>
山上での移動には高野山観光協会のレンタサイクルを。単なるママチャリですが威力は絶大です。奥之院と壇上伽藍エリアには乗り入れ禁止になっています。
<高野山参拝のヒント5>
昼食を食べるなら「中央食堂さんぼう」です。精進料理がリーズナブルなお値段で、本当においしい。注意点として、平日はお休みが多いこと、そして週末は正午には大行列になるので11時半ごろまでには入店したいところです。
<高野山参拝のヒント6>
宿坊で夕食をいただくのであれば不要ですが、もし素泊まりで外食が必要な場合には観光協会のある「千手院交差点」そばの「宮さん」がいいでしょう。びっくりするほどメニューが多彩なのでいささか待たされますが、安くてうまい。しかも高野山大学の学生さんや金剛峯寺のお坊さんが食事をしているので、漏れ聞こえてくる会話が興味深い、というオマケつきです。何かのきっかけで仲良くなれればさらに楽しいと思います。
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ポリ袋いっぱいの幸せ
ポリ袋いっぱいの幸せ

7月から泊り勤務が週末になり、自動的に休みは平日になりました。家族持ちとしてはなかなか厳しいシフトなのですが、冷静に考えると子どもたちには塾や友だちとの付き合いがあり、週末ごとに親に付き合ってくれるものでもない。かえって親の方が「子離れ」をしていないのかもしれないな、と反省したところです。

そこで平日の持て余した時間を関東36不動尊巡拝の穴埋めにあてています。これは福聚講の仲間と去年から月に一度のペースで始めたものですが、私は震災に伴う業務の変化で途中の数回に参加できないままになっていました。仲間が今月にもいよいよ結願の予定になることもあり(最終回も週末なのでやはり私は参加はできない)、この機会に抜けていた部分を廻ってひとりでの結願を目指すものです。仲間との巡拝では目的とする寺の最寄駅に集合、和気あいあいと参拝、さらに帰路には打ち上げなどもある楽しいものですが、なにしろ一人ではそれはない。淡々と電車に乗り、淡々とと参拝するだけ。一人では「南無大師遍照金剛」の白衣を着るのもいささかの抵抗感がありますが、仲間とやっていた沿道でのゴミ拾いも当然ながら一人での作業で、はじめのうちはこれが気恥しかったものです。
それにしてもその気になってキョロキョロすると、吸殻やゴミは「無尽蔵」と思えるほどに落ちている。特に駅周辺の商店街・バス停・交差点はすごいので、経路によってはすぐにポリ袋がいっぱいになるほどです。ひとつひとつが小さいだけに罪悪感も少ないのでしょうね。特にひどかったのは先日行った23区北部のある地域。ここに限らず中途半端な都市型郊外はどこでも似たようなものなのかもしれないのですが、ポリ袋がいくつあっても足りない、道中はサッパリ進まない。途中からは吸殻の回収は省略させていただきました。「公衆道徳がなってない」とアキレるのは簡単ですが、地元への愛情の欠如と見れば、それはなかなか淋しい荒涼とした風景だったのです。

汗だくになって袋が膨らんでくれば「この分量だけ街がキレイになった」という実感が味わえます。そして往路キレイにした道を戻ればそれは最高に気持ちがいい。「ご苦労様」と声をかけていただくこともあります。先日の横浜では車の男性が声をかけてくださいました。「個人でやられているのですか?」「まあ、そんなものです」「修行のようなものですね」「まあ、そんなものです」というやり取りになりました。褒めてもらうためにやっているんぢゃないからなあ、という気持ちがあるのでついぶっきら棒な応対をしてしまったのですが、やはり「見ていてくれた」のはうれしいものでした。
佐々木閑先生、ありがとうございました!
佐々木閑先生、ありがとうございました!

以前の記事で予告しましたが、東京禅センター主催の「科学と仏教の接点」を聴きに行きました。そこで「日々是修行」の佐々木閑先生に初めてお会いできましたので、その「感激報告」です。

迂闊にも知らなかったのですが、「科学と仏教の接点」は年に2回ずつ開催してきて、これが8回目。世田谷にある龍雲寺本堂には50人以上の方が集って、かなりの盛況です。今回の"科学側"ゲスト講師は東工大理学部の細谷暁夫教授で、テーマは「この世の真実とは何かー量子論から見た世界の実像ー」。この細谷先生パート、冒頭はなんとか喰らいついていたのですが、やはり門外漢には辛い部分もあり、途中からはウツラウツラしてしまいました。おそらく寺の本堂に集った方々も同じだったのではないでしょうか(佐々木先生のパートでは会場の熱気がグッと高まるのを感る)。これは佐々木先生も懸念されていたのでしょう、細谷先生の話のポイントごとに絶妙のタイミングでフォローをされていました。流石は京都大学工学部ご出身、並の仏教学者サンではあり得ないだろう巧みなまとめでありましたが、それでもワカランものはワカラン。もう完全にこちらがバカですね。細谷先生、スミマセン。

さて、佐々木先生です。NHKのダンマパダ解説でお声は存じあげていたのですが、「講議」の上手さはまた格別。話の緩急、ジョークの巧みさ、表情豊かな語り口にすっかり惹き込まれました。大学の教壇に立たれている方は違うなぁ、というところです。内容も、仏教教理のかなり難解な部分を説得力をもって説かれていらっしゃっていて、「ああ、確かに『日々是修行』の佐々木先生がここにいる」と感激もひとしお、です。

講座終了後には佐々木先生をキャッチして、「日々是修行」と「犀の角たち」にサインをいただきました。もちろんこの2冊はわざわざそのために書棚から取り出して持参していった訳です。「中年オヂがあまりにミーハー的では」という怖気もありましたが、幸いなことに同じことをやっている参加者サンが数人いたので、それに便乗した形。それにしても、iPhoneで2ショット写真まで撮らせていただいて、さらにそれをFacebookにUPしたのはやはり浮かれ過ぎでしょうか?「もう先生の大ファンで、NHKも大変楽しみに見ていました。『日々是修行』も朝日を毎週楽しみにしていました!」と申し上げたところ、先生は「これ(『犀の角たち』)は本当に書きたかった本で、装丁や紙の指定まで全部やったんですよ」「朝日の連載は大変だったんですよー」などと気さくに話して下さって、また感激でした。

チャンスがあれば個人的に伺ってみたいこと。佐々木先生の魅力は「もう釈尊が好きで好きでタマラナイ」っていうのが滲み出ちゃっているところで(専門は原始仏教)、ご自身も「自分は『仏教原理主義者』」と仰っています。その佐々木先生は現代の日本の既成仏教教団とその存在意義、さらには未来の在り方をどう見ているのでしょうか?教団系の大学に奉職されているだけに大きな声では言えないことも多いだろうな、と察します。

それにしても「科学と仏教の接点」というこの一連の講座も、名著「犀の角たち」にしても、理系出身の佐々木先生だけが成し得た貴重な財産、もはや佐々木先生のライフワークなのかもしれません。次回は10月、心臓外科の権威から"看取り"について伺えるということです。会場の龍雲寺も禅寺ならではのキリリとした空気を感じる立派なお寺でした。まさに「犬も歩けば棒に当たる」、これからもこうした「仏縁」を積極的につかんでいきたい、そのように決意した日になりました。

<近況報告>
我流ながらマインドマップをいよいよ始め、本項の下書きにも使用してみました。「思考・アイデア」がいい具合に拡大しながら、なおかつ俯瞰できる感覚が素晴らしく、「これはしばらくじっくり取り組んでみよう」と決意した次第です。きょうは決意だらけ、ですな。

最近、呼ばれていますか?
最近、呼ばれていますか?

なんでもキリスト教では、召命(しようめい)ということを言うようです。「神様に呼ばれている」という意味ですから、信仰している人にとってこれは大きい問題だろう。一神教ではない仏教ですが、「ご縁」と言われるものも概ね同じものかもしれません。個別にはもう忘れてしまいましたが、私にも40歳を過ぎて佛道に再邂逅した際には「何かに呼ばれている」という感覚が確かにありました。現代の日本で「私は呼ばれている」ことを積極的にカミングアウトすれば大概の人は引いてしまうだろう、くらいの冷静さもまだありますので、こうしたことはこの匿名のブログでしか書きませんが。しかし、この「呼ばれている感」もなかなかのクセ者です。「呼ばれている」と感じることは即ち「聖なるものに選ばれた」という『エリート意識』を惹起するものです。「呼ばれている安心感・優越感」に安住してはいけない。

大乗仏教では衆生のために実践することを課せられた「六波羅密」(ろくはらみつ)というものがあります。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の6つで、詳しい説明は今回はしませんが、肝心なことは「 呼ばれたことには感謝する。そしてそれを衆生のために生かす」態度だろうと理解しています。「阿弥陀仏の西方浄土(極楽)に往生する」ことを目指している浄土系仏教でも「その極楽浄土から戻ってきて衆生を救いなさい」という教えがあるそうです。「往きっ放しではいけないョ」、そう説く姿は尊いものだと思います。
ガンダム大仏を参拝
ガンダム大仏を参拝

お台場にできた「ダイバーシティ東京プラザ」で実物大ガンダムを「参拝」してきました。そう、人間の形をした巨大像を見上げる際に受ける迫力と、そこにあるなんとも言えない静謐さは、まさに大仏そのものです。人々が遠方から続々と訪れる行為も「参拝」と同じ。大仏さまと違うのは、人々が合掌礼拝する代りにデジカメや携帯で御本尊を撮影しているところでしょうか。

人形というものを前にすると、どうしてもそこに"魂"を仮託してしまうもの。じっと見ていると今にもガンダム大仏がノソリと動き出しそうな錯覚もおぼえます。そういえば「奈良の大仏さまは夜ごとに歩いている」という、明らかにウソっぽくて可愛い"都市伝説"がありますが、これも大仏さまを仰ぎ見ているうちに"魂"を投入してしまった昔の人の実感から生まれたのでしょうね。

<追記>
オープン4日目とあって、ダイバーシティ東京プラザの混雑ぶりはかなりのもの。2階では真直ぐ歩くこともできませんでした。次男と「ガンダムフロント東京」の有料エリアに入場しましたが、それ以外の場所では一銭も使うことなく帰ってきました。まあ最近は「欲しいモノ」なんて殆どないから、アタリマエですが。お土産は人酔いでのグッタとリした疲労だけでした。

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