ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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糖尿病に感謝!
糖尿病に感謝!

「血糖値が高い」。晴天の霹靂ともいえるこの「宣告」を受けたのは2001年の秋でした。当時海外駐在だった私は、危険とストレスのダブルパンチ業務のために、激ヤセと血尿に見舞われ、駐在していた国と日本、双方の病院で精密検査を受けて、このように診断されたのでした。当時の私は38歳。まだまだ自分の体力を過信していた、というか限界を意識しないでもやっていけたのです。ましてや「病気」などというものは、頭では理解していても、自分のこととして実感を伴ってはいなかった。さらに糖尿病は痛みなどの具体的な症状があるわけではないのが、本当にコワい。私が実際に事態を正面から受け止めて、薬や食事に気を配るようになったのは日本人の医者に「脅されて」から。アジアの外人の医者にタドタドしい日本語と英語で言われても(日本の援助で日本に留学した方が多かったので日本語はうまい)、切実になれなかった。

そこで節制生活です。

運動を意識的に心がけるようになりました。タニタの「カロリズム」という器具を常に装着、これは簡単にいえば歩数計ですが、それだけではなく、歩いていない時間帯でも上半身の動きも計測するとの触れ込み。年齢、体重、体脂肪率を入力することで「基礎代謝量」を計算、これに運動で消費したカロリーを計上して毎日の消費カロリーがわかります。これを手帳に記録します。また通勤では時間と天気と体力が許す限り、3駅分を歩くようにしています。距離2.8キロ、時間にして30分、歩数は3700歩。途中には都内で唯一という虚空蔵尊があるほか、ご鎮座1000年以上という神社もあるので、参拝も兼ねられてゴキゲン。ただし夏の遅番シフト出社では1400という炎天下に歩くことになるので、シャツは汗みどろ、会社では着替えとデオドラントが欠かせません。さらに。遅番の日の朝にはスポーツクラブのプールで、休み休みながら平泳ぎとクロールあわせて1200Mをスイム、最後はサウナと水風呂ですっきりして、自宅で二度寝の「時差調節」。クラブの体重計での数値も手帳に記録です。毎朝の腹筋を中心とした筋トレも続いています。そしてロードバイク。風を切って走る爽快感や自分の体力で驚くほど遠くへ行ける快感。これについては稿を改めてまた書くことになると思います。

食事にも気を配るようになりました。基本的に揚げ物は一切食べませんし、身体が欲しなくなった。家族も「揚げ物はパパが不在の日のお楽しみ」というリズムになっている。また家のご飯は十穀米か麦が混入。慣れると別に気になりませんが、ある温泉宿では息子が白米に感激、「銀シャリだあ!」と騒いで仲居さんに大ウケでした。タバコをやめたモチベーションのひとつも血糖値問題でした。

おかげさまで人間ドックでは治療中の血糖値だけがE判定ですが、コレステロールや中性脂肪などはなんの問題もありませんし、体重は高校時代と同じ。最盛期よりも8キロ軽い状態を8年以上もキープしています。あ、最近血圧(特に下)がちょっと高いのが心配かな。

長くなりました。こうした日々の生活のありようは、基本的に「節制」というキーワードに集約される気がしています。そしてこうした態度は佛道精進の精神にも通じて、なかなか楽しいではないか、と思うのです。もし血糖値が上がらないままだったら、あのまま身体に気を配ることなく、体重も生活態度も、そして精神面も、すべてが放恣に走る中年ライフになっていたのではないかな、と。「血糖値さん、上昇ありがとう」ってトコロなのです。
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四国遍路の記録 08/11
四国遍路の記録 08/11

思いがけず時間が取れることになったので、10月に主に徳島(1番から23番)を9日間、11月に主に高知(24番から40番)を17日間回りました。10月1日高野山での結縁潅頂の際にはそんな時間が取れるとは想像もしていなかったのに「あれよあれよ」の展開で、「お大師さまとのご縁が熟した」ということであれば、大変ありがたいことであったと思います。またT師のご指導により、先祖の墓参り、川崎大師と高野山東京別院の参拝もしてから出発いたしました。

思えばかねてより「漂泊への思い」がどこかにありました。吉川英治「宮本武蔵」の沢庵和尚、泉鏡花「高野聖」、山頭火、そしてフーテンの寅さんに憧れる気持ちと、霊場めぐりが融合したお遍路は「積年の念願」でした。ただし、お遍路はあらかじめ宿を決めておくことになるので(野宿は一切考えませんでした)、「風まかせの気ままな旅」とは違い、「目標めざしてまっしぐら」に近いものになります。

全行程を徒歩で通すことと、期間中の断酒を課しました。それくらいはしないと「白衣を着た観光客」になってしまうような気がしていました。ですので「区切り」の場合も、再開の際は同じ地点まで電車で来てそこから歩き始め、民宿の車の送迎をいただいた際にも、翌日は同じ場所まで送っていただき、そこから歩きました。カッコいい物言いになってしまいますが、「歩くことでしか見えないものを見たい」と思いました。断酒についてはT師より「決して強制ではないが、酒は断つようにするべきだ」という温かい(?)ご指導をいただいておりました。

徳島で不思議なことが二つありました。ルート上のある番外札所を通りがかった際のことです。スタートしたばかりだったので、つい次の札所へ急ぐことばかりを考えてここへのお参りは閑却しようとしておりましたところ、そこにさしかかる直前に雨がザーっと降り出し、思いがけず雨宿りのような形で参拝したところ、すぐに雨が上がりました。お大師さまが参拝を促してくださったような気がしました。また、ある山道での出来事。フト靴を見ると爪先のあたりがベットリと泥で汚れていることがありました。「宿に着いたら泥を落とさないといけないなあ」と思った矢先、誰もいない山道の湧水におあつらえむきのブラシが転がっていて、汚れを落とすことができたのです。その際は「ラッキーだったな」程度にしか思わなかったのですが、思い返すとそこは農道でもなく、お遍路さん以外は足を踏み入れないような本当の山道で、ブラシが「置いてあった」のが本当に不思議な場所でした。

遍路が楽しくて仕方がなく無我夢中で歩いた徳島と違い、さすがに「修行の道場」とされる高知は、肉体的にも精神的にも長いものでした。4日目には行程をわずか10キロにして「休養日」を入れたのですが、かえって翌日に張り切りすぎて股関節を痛めるという事態があり、まともに歩けなくなりました。この時は思わず帰京の便を調べてしまうほどの大ピンチで、「急いでいるばかりでは東京と変わらない。休養するのも大切だ」などという小賢しい考えを大いに戒められたような気がしました。民宿のおやじさんが「そういう時はお大師さまがゆっくり行けとおっしゃっているんだ」と教えてくださいました。また、11月中旬に真冬並みの寒波が西日本を襲った際も、一日中氷雨に見舞われて凍える思いをしたり、長い河原沿いの道で冷たい逆風(しかも台風並みに強い!)にさらされたり、これもつらい日々でした。

遍路は「信仰」「健康」「観光」の「三コウ」、と言われます。これはまさに「言い得て妙」、確かにこの3つの言葉に魅力が凝縮されていると思います。私は札所以外でも、たとえば道端でお地蔵さまを見かければ必ず手を合わせてるようにして、「拝みに来た」ということを忘れないように意識しました。「健康」では、帰宅時の体重は2回とも出発前とほぼ変わらなかったのですが(なにしろ食欲旺盛、モリモリと食べていました)、この5~6年間は18~19%で変動がなかった体脂肪率が14~15%にまで激減していて、驚きました。

四国の自然、ほかの歩き遍路さんとの連帯感、民宿の方とのふれあいも心に残るものでした。民宿については、建物がかなり年代モノであったりするケースも多くありましたが、女将さん(たいていはおばあちゃん)がいい人であればそんなことはまったく苦になりませんでした。逆に、いくら設備が立派でも冷たい対応に終始された宿にはいい思い出がありません。やはり「ファシリティ」より「ホスピタリティ」です。さらに東京育ちの自分には四国の現状を垣間見るという社会見学にもなりました。車の多くは「紅葉マーク」、ある民宿の女将さんは「今朝出発したお遍路さんが乗ったバスに女子学生が乗っていたんだけど、彼女がこの集落の最後の子どもなんだよ」と言っていました。このまま過疎化が進んでおばあちゃんたちが支えている民宿がバタバタと廃業すれば、残るのは札所と宿坊と大きな町のビジネスホテルだけ、ということにもなりかねません。そうなるとお遍路も車やバスしでしか成立しないことになり、歩き遍路を中心とする「お遍路文化」は大きな曲がり角を迎えることになります。T師は「(遍路では)日本が空虚な都市と純朴な村、空しいエリート層と堅実な庶民層の二極に分かれてきたことがわかる」とおっしゃっていますが、その通りかもしれません。

お遍路の究極の姿はやはり「祈りと修行」だと思います。重い荷物を背負って何日も何日もひとりで歩いていると、必然的にいろいろなことを考えさせられます。肉体的にもタフな日々です。ここまで徹底的に自己と向き合うのは坐禅修行以上かもしれません。「区切り」を迎えて電車に乗ると、何日間もかけて歩いてきた道をあっけないほどの短い時間で走破してしまい、文明の「ありがたさ」、そして「粗暴なまでの力強さ」を感じます。こうした文明をわざわざ「拒否」して何日間も苦しむことでようやく見えてくる自己に向かい合う、まさに貴重な日々でした。出発前にT師は「量より質が大切だとこころがけて回るように」とおっしゃってくださいました。何日もかかりましたが、今では身体感覚としてこの言葉の大切さを少し「実感」できているようです。お遍路は決してスタンプラリーではないのです。

帰京後は墓参りや川崎大師参拝に赴き、これまでの道中の無事に感謝する「お礼参り」をしてきました。続きをいつ始められるかはまったくわからず、結願も何年後になることやらさっぱりですが、もしお大師さまが呼んでくださることがあれば、すぐにまた四国へ行こうと思っています。ご指導いただいたT師、長期間家を空けることを了承して、励まし続けてくれた家族に感謝しています。南無大師遍照金剛。
佛道参拝はロードバイクに限る
佛道参拝はロードバイクに限る

これは一時は本気で立ち上げようとまで思ったHPのタイトル案。佛道と自転車ってなかなか相性がいいと思っています。

たとえば川崎大師。私の自宅がある品川区から自転車でも30分。電車だと品川と川崎で乗り換えるのでやっぱり30分。しかし、現地での充実感は全然違うっ!自転車だと「さあ、着いたぞ」と、もう山門から気分高揚。お参りにも熱が入ろうってものです。ところが電車の場合、なんとなくiPodなどを聴きながら電車に揺られて、なんとなく参道を歩いているうちになんとなく到着している。で、なんとなくお参りして、「まあ、こんなところかな、さあ帰ろ」となるだけ。なんのカタルシスもありません。

私にとっての自転車参拝の三大聖地は「川崎大師」「浅草寺」「護国寺」でしょうか。「高野山東京別院」は自宅からわずか3キロなので、これはウォーキング圏内ということになります。特に浅草寺はやっぱり華やかさが格別です。外人も多いし、日々成長してゆくスカイツリーの威容に圧倒されるのも楽しい。参拝客のほとんどが本堂のさい銭箱まででしか進みませんが、実は右手から登壇して御本尊の前まで進める。参拝客の喧騒をバックに念入りにお経をあげるのもオツなものです。帰りには仲見世のブラブラもいいものですが、あの人ごみ、自転車を押すのも憚られる、ってことはあります。

やはり夢は「いつかは四国遍路を自転車で」ってことになります。しかし、まずは途中で止まっている歩き遍路を結願しないことには・・・・。南無大師遍照金剛。
毎朝の瞑想と勤行について
毎朝の瞑想と勤行について

加齢とともになんでも「リスト化」しておかないと怖いので、リビング戸棚の裏に「毎朝やること」のリストを貼っています(流石に表に貼るのは憚られました)。正直に告白すると、これだけこなすのはちょっとしんどい時もあります。

(リスト)
線香~まずなによりもこれです。以前は松栄堂の「芳輪 堀川」の甘ったるい香りがお気に入りでしたが、最近は高野山の定番「高野山大師堂」の「銘香高野霊香」ばかりです。

瞑想~マインドフルネス瞑想を10分間。師匠には「瞑想はあまりおすすめしない」と言われていますが。我流はまずいのでしょうか。

勤行~開経偈、懺悔文、三帰、三竟、十善戒、発菩提心真言、三摩耶戒真言、光明真言、般若心経、十三佛真言、観音経偈、ご宝号、回向文です。7~8分かかります

血圧測定~血糖値が高いこともあり、血圧管理は大切です。今年から血圧の薬も処方されています。

筋トレ(月水金日)
ストレッチ(火木土)~腹筋系4エクササイズは基本的に毎日です。「読む筋トレ」という本に触発されました。

風呂場掃除~いつの間にかパパのノルマに

iPod更新~PodcastでCNNとNewYorkTimesを毎日聴きます

ウィルスバスターアップデート~パソコンのケア

ニュースチェック~録画してあるテレビニュースを見ます

メシ 歯磨き ひげ剃り ひげトリマー(月・木)

加湿器の水替え~冬季だけ

リストは以上です。

これだけあると、起床から出発まではざっくり1時間20分。早番シフトの際には午前4時45分にめざましです。勤行は四国遍路から帰宅してから始めたものですが、やはり佛教徒としてこの毎朝の「儀式」は大切、声を出して続けることには大きな意味があるとしみじみ思います。しかし、狭いマンション住まいでは仏壇はなく、仕方なく高野山がある西を向いて礼拝している次第です。
佛道との出会い
はじめまして。

実名でのツイッターに一時はハマったのですが、洪水のようなTLを追うのに疲れ果て、シンプルなブログにお世話になることにしました。IDは「あびらうんけん」、これは胎蔵界大日如来さまのご真言です。畏れおおいIDかもしれませんが、「即身成仏」をめざす者の心意気、と解釈していただければ幸いです。

僭越ながらこのブログへ向かう立場を表明します。

文章を書くことの楽しさを味わうためのもの
佛道に帰依する立場の再確認として、在家信者の心意気を表明する
職業を含めて、すべて匿名で発信する
アクセス数に一喜一憂しない(アクセスが増えることは嬉しいのですが)
不快なコメントはスルー

何卒よろしくお願いします。

自己紹介です。
東京都出身、現在は品川区在住の40歳代会社員。妻と子供2人の4人家族です。

佛道との最初の出会いは小学生当時に読んだ吉川英治の「宮本武蔵」でした。お読みになった方はわかると思いますが、ここでは武蔵の師匠としての沢庵和尚が冒頭から実に魅力的に描かれており、主人公をすっかり「喰って」しまうその姿に子どもごころにあこがれました。

このため一時は本気で禅宗の雲水になることも夢見ましたが、なんとなく大学に進学、なんとなく会社勤めをして今に至ります。大学は東洋哲学を専修しましたが、卒論は佛教ではなく、教派神道を選びました。

再び佛道と邂逅したのは40歳代です。会社を離れた業界系の会合のゲストに高野山真言宗の行者さんがいらっしゃって、阿字観(=密教瞑想)の指導をしていただきました。この行者さんが現在の「師匠」にあたるわけですが、波長が合ったのでしょうか、いや、当人の感覚からすれば「佛さまに呼んでいただいた」としか思えないような日々が続いているのです。この感覚は、最初の阿字観指導をいただいた時から5年ほど経った現在でも変わりません。これを「信心」と呼ぶのであれば、確かにそうだと思います。

2年前には体調を崩しました。「適応障害」、まあわかりやすく言えば「うつ」でした。自分なりに苦しい体験で、家族にも心配をかけましたが、休職を命じられた時にまず思いついたのは、「あ、これは四国遍路のチャンスだ!」(笑)。結局2回の区切り打ちで阿波と土佐の2国を徒歩で回りました。宇和島駅で中断したまま早くも2年が過ぎてしまいましたが、佛道の友人には「お大師様に呼ばれたのですね」とうらやましがられています。

四国遍路の前後をあわせて高野山には7回お参りに行きました。宿坊に泊めていただくこともあれば、大阪出張の帰路に1泊延長、日帰り参拝だったりすることもありました。現在は、前述の師匠が主催する「講」に参加、坂東観音巡礼や法話の会などに参加しています。熟年世代が圧倒的に多いので、私は「青年部」扱いになっています(笑)。

思えば生活規範は完全に佛教徒としての自分を意識した生活です。十善戒(殺さない、盗まないなど10の戒律)だけでなく、佛教徒としての意識の持ちようがおのずとあるという気がしています。

何卒よろしくお願いします。

南無大師遍照金剛。
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