ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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「坐禅をすれば善き人となる」
「坐禅をすれば善き人となる」

先日、親戚の子供を抱っこさせてもらう機会がありました。いきなり見知らぬヒゲおやじに抱かれた赤ん坊は大泣きするわけですが(笑)、その身体からこちらの魂に伝わってくるもの、それはまさしくカッカとした「生命力」です。それをダイレクトに感じていささか圧倒されました。密教で説くところの「大いなるいのち」が確かにここでは燃えさかっていました。

赤ちゃんの瞳は澄み渡っていて本当にキレイなものです。医学的には「水晶体の透明度が高いため」などというミもフタもない説明になるのかもしれませんが、「それは世の中の汚れたモノを見ていないから」との俗説の方に私はそそられますね。子どものころに同級生から「貝殻に耳を当ててみて!ザーッて海の音がするから。貝が海を懐かしがっているんだよ」と教えられ、本当に潮騒が聞こえたのでビックリした、そんな記憶に通じるものがあります。

今回のブログタイトルは永平寺の貫首であられた宮崎奕保(えきほ)禅師の言葉だそうで、本の題名になったから知っているものです。宮崎禅師のお顔は存じませんが、「僧堂(禅寺の修行道場)で1ヶ月も修行すれば、ひとは『顔立ち』は変わらないが、『顔つき』は変わる」という言葉も聞いたことがあります(これは宮崎禅師ではない)。たとえひとたび世の中で汚いものにまみれてしまっても、佛道に触れることで何かが変わる。だとすれば、大いに勇気づけられるではありませんか。

諸悪莫作
諸善奉行
自浄其意
是諸佛教

悪いことをせず
善いことをする
そのようにして
人は清らかになる
このように
仏陀は語った

~「ダンマパダ」183
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