ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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「信仰する宗教は仏教です」
「信仰する宗教は仏教です」

バリバリの佛道ブログを毎日執筆、信心まっしぐら系のいまの私ですが、タイトルにあるような「宣言」をすることには戸惑いも残ります。というか、通常の生活において宗教観を他人に聞いたり、自ら披露する機会は、そもそもない。就職でも聞いちゃいかんし。外国の入国審査書式で尋ねられてハタと戸惑う、なんて日本人が多いと思われます。

たとえ自らの信心には揺らぎがなくても、現代の日本において「宗教」「信仰」という用語には一定の抵抗感、アレルギー、バイアスがあります。根底にはオウム真理教事件の衝撃や、時折見聞する新興宗教にハマっている方のエピソードへの嫌悪感などがあるのではないか。「シューキョーとは何やら得体が知れず、恐ろしいもの。まっとうな人間が関わってはいけないもの」という空気が醸成されている。私も用語として仏教ではなく「佛道」、信仰でなく「信心」というタームを使っています。表層意識としてはあまりにベタな用語使いから半歩ずれている感覚がカッコいいからなのですが、根底には同じタブー感があるのかもしれません。
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