ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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おなかは身体の中心だった
おなかは身体の中心だった

シノギの方が半端なく忙しく、もうすぐ長い出張にも駆りだされそうです。あ、シノギとは仕事のことなり(笑)。にもかかわらず毎朝の瞑想は調子がよい状態です。いや、シノギが辛いからこそ瞑想でバランスを取っているのかもしれません。

いろいろな禅宗系の坐禅の手引を拝見します。「頭を吊るように背筋を伸ばせ」「腰・胴体・肩・頭を積んでゆくように」「細々と微かな呼吸を」云々。さらによく言われるのが「丹田に力をこめる」ということ。丹田とは臍のちょっと下あたり、ということらしいのですが、実はこの感覚がこれまでいまひとつ分からなかったのです。しかし最近はこれを「肛門に力をこめる」「腹筋を意識する」と解釈、すると呼吸が微かなものになり、集中が容易になるような気がします。もちろん「瞑想には『いい』も『悪い』もない。評価せずにただ坐れ」ということなのかもしれませんが、身体の中心を意識するこの感覚が少しわかってきたのは励みになっているのです。
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