ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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墓参りは快感
墓参りは快感

業務で宮崎県に滞在中です。去年に続いての宮崎出張なのですが、曾祖父が宮崎出身ということもあり、「ご縁」を感じます。今回は15日間という長丁場とあって、週末に半日のOFFを入れて(上司公認)、墓参に行ってきました。

曾祖父の墓参は2回目、前回は帰京便直前の顔見せ程度だったので仕方がないのですが、気がつけばきょうもお線香も花も用意していない手ぶら状態、我ながらの詰めの甘さにがっかりです(輪袈裟・数珠・お経は持参していた)。ところが、一通りのお参りと読経を済ませてフト近くを見ると、となりの墓所におあつらえ向きの青バケツが転がっている。「これもご近所のご縁」とばかりに拝借しましたが(森家さま、ありがとうございました)、しかし山の中ゆえ雑巾も水道もありません(縁起によるとかつては寺の境内だったが廃仏毀釈にあったとのこと)。バケツをぶら下げてふもとまで降り、住宅地でリフォーム風の工事をしている方に「歩いて行ける近くにコンビニか雑貨屋さんはありませんかあ?」「近くにはないねー。どうしたの?」「あ、墓参りなんで雑巾を買おうかと」「それなら貸してあげます」ということに。大変ありがたかったのです。

山に戻る途中にはチョロチョロとした水音。パイプを伝って小川(というか排水溝)に雨水が落ちていたので、それをバケツに汲み、いそいそと清掃になった次第。水はびっくりするほど冷たかったのですが、墓石はピカピカです。バケツをおとなりに返し、雑巾はよく洗って、自販機で買ったペットボトルのお茶なども添えて工事の人に返却。「そうか、お彼岸ごとの墓参の快感って、これだったのかー」と気づいたわけです。って、こんなに先祖を大切にしていないとは、日本の仏教徒として恥ずかしかったことであるなあ(受験古文の現代語訳風に)。
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