ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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聖地巡礼
聖地巡礼

つけ麺にハマって約3年になります。そして昨今のつけ麺のひとつのトレンドを作ったのが、私の地元である大崎にあった「六厘舎」。しかしご近所にあればあるほど「ま、いつか行けるサ」と足が向かないのはよくあること。あの大行列に臆して1回経験しただけでいるうちに、おととし閉店してしまったのでした(あまりの行列にご近所からクレームが殺到したため)。東京の人が東京タワーにあまり行かない、というのに似ていますね。タワーは当面立っているようですが。

その六厘舎が密かに(?)復活していました。しかも同じ場所で。ホームページには一言も載っていませんが、ツイッターで告知していたのです。しかし話し合いの結果、「週に一回」「行列ができないように整理券を配布」「建物内で待機」という。どれだけ近隣とモメたんだ、六厘舎よ。

開店は土曜日だけ、というわけで、きょう行ってきました。まず朝イチで整理券をゲット、改めて長男と指定の12時に店に到着です。店のとなりの空き店舗(かつては六厘舎系別店舗だった?)で待機、いよいよご対面は12時40分ころでした。カウンターにいたのは有名店長の三田さん。長男が「スーパーで売っている六厘舎生麺の写真の人ダネ」と感心しています。御本尊にご対面できるのも聖地ならでは、です。で、肝心のつけ麺のほうは?うーん、まあ美味しいことは確かですが、「ま、これね」っていうところ。各地に同じ魚介系つけ麺が増えただけに期待のハードルが高まってしまうのは、元祖の宿命です。長男と意見が一致したのは「五反田の浜屋の実力を見直したね」ということ。週に一回、整理券まで取るくらいなら浜屋でいいや、ってところでした。今の私のつけ麺リストは以下の通りになります。御三家が「六厘舎」「浜屋」「TETSU」、対抗で「麺彩房」。この4軒であればどこへ行ってもご満足は保証いたします。

今回はタイトルだけが佛道でした、スミマセン。南無大師遍照金剛。
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「タスク処理の満足感」と落とし穴
「タスク処理の満足感」と落とし穴

iPhoneは初代の発売直後から使っているので、お付き合いはもう4年近くになりますが(現在は2代目のiPhone4)、ますます手放せなくなってきました。というより、もはやこれがないと「生活と人生が成り立たない」状況です、決して大袈裟ではなく。

一番頼りにしているのがいわゆる「to do list」。つまり「やるべきこと」のアプリです。「思いついたこと」「気になっていること」は、仕事でもプライベートでも、とにかく何でもこのアプリに書きとめておく。メリットは3つ。「日々のやること(タスク)が明確になる」。「『何か忘れていないかなー』というストレスからの解放」。「自分の置かれた状況の可視化」。これは「GTD」というビジネス手法の実践でもあります(GTDについてはデビッド・アレン著「はじめてのGTD ストレスフリーの整理術」をご参照ください)。GTDでは「何でもいいから信頼できるシステムにすべてを書き出す」ということになっていて、手書きのノートなどを想定しているようですが、iPhoneアプリの利点は「すぐに書き込める」「繰り返し機能」です。とにかく「やるべきことを思いついたらすぐに書く」ことが肝要。そのためにはトイレでも寝床でも手許に置いておけるiPhoneが最適です(風呂場とスポーツクラブプールには持ち込めない。そのことがストレスになる)。そして「やるべきことはすべてここに書いてある」と信頼し、集中力はタスクそのものに注ぎ込めばよい。どんなに締め切りが重なっても、タスクのプレッシャーが大きくても、一度にやれることはひとつだけ。リストアップされたものをひとつひとつ片づけていくしかないと開き直ることにつながります。そして、タスクごとに「毎月」「○日ごと」などの繰り返しを設定できる機能は電子機器ならでは、です。「携帯電話のアドレス帳バックアップ」は「100日ごと」。「加湿器のフィルターの洗浄」「勤務表の提出」「立替え経費の精算」「子供の自転車タイヤの空気補充」「文庫新刊情報のチェック」などは「毎月」。「スタッフ勤務シフトの更新とバックアップ」「薬の携行容器への補充」は「毎週」。「NHKBS番組表のチェック」は「4日ごと」などに設定、これまたストレス軽減になっています。また、免許証の更新や2年契約している「NTTフォトサービス」の契約見直し期限など、先々の予定もここに入れておかないとうっかり忘れてしまいそうです。

しかし!

このように日々のあれこれをガッチリと抑えておく「コントロール感」は確かに安心をもたらすのですが、最近は「これだけでいいのかな」と思います。自動的に降ってくるあれやこれやを「処理する」「こなす」ことで満足していないだろうか。短絡的なタスクを超えた「目標」は、決してアプリのリストには載っていない。能動的に人生の設計図を策定し、それを実践していなければ、日々の忙しさはあっという間に時間を奪い去っていく・・・。そんな焦りを覚える40代後半です。

<追記>
いずれにしてもiPhoneに罪はない。「to do List」以外にも実に多彩に活躍しています。

メールチェック:会社アドレス宛のメールもgmailに転送することでいつでもチェックできる
地図:GPSで迷わないだけでなく、目的地のキーワードを入力する検索機能があるので知らない町でも用件の処理が容易
Web:天気予報・ニュースチェックなど、どこにいてもWebにアクセスできる安心感
ファイナンスアプリ「Active Money Pro」:現金・カード・Edyなどの日々の出費をすべて記録。会社経費立替えとその精算も把握できるので、無駄な出費の見直しにつながった
アラーム:朝の目覚ましだけでなく、毎週の会議などのルーティーンをリマインドしてくれる
タイマー:ラーメンや電子レンジのお伴
電車の時刻表チェック
家族の写真を持ち歩く
徒歩やジョギングの軌跡を記録するアプリ「Run Keeper」
新聞記事などはカメラ利用のスキャナーアプリ「Cam Scanner」でゲット、これを「evernote」に送っておけば、「検索ができるスクラップブック」になります
ライト:ちょっとした暗がりならこれで大丈夫

しかしスケジュールだけは手帳で管理です。紙の手帳には予定を一覧できるメリットがあるほか、バックアップしないままでいたデータが消えて真っ青になったことがあるので。そして佛道関連でもしっかり活用しています。お経のCDを取り込んで、電車の中などで繰り返し聞く。般若心経よりもはるかに長い「観音経偈」は、これでほぼ暗誦できるまでになりました。
哲学的なアタマとは?
哲学的なアタマとは?

前回の記事を書いたことで、自らの教理の不勉強ぶりを痛感。書棚を再チェックして、とりあえず「入門 哲学としての仏教」を読み始めました。そこで驚いたこと。1回目に挫折してそのまま放置していたこの本なのですが、これまでのところスルスルと理解できるので、面白くて仕方がない。思うに、この現象はにわかに哲学的思考が身についたわけでは決してない。わからないままながら以前読んでいたことが「効いている」のでしょう。「挫折ポイント」から先の未知なる世界はどうなることやら・・・。

読書とは不思議なものです。小説などは読んでいるときにはすっかり楽しんでいるのですが、ひとたび読み終わると「面白かったなー」という感覚だけが残り、細部のほとんどは忘れてしまう。そして縁あって再読、三読する本は理解度が飛躍的に高まる。魏志に曰く「読書百篇 意自ずから通ず」。だから中年になった今では、あれこれと読み散らかすよりも、自分にとって大切だと思う本を再読するようにしようと思っています。ちなみに人生でもっとも繰り返し読んでいるのは吉川英治「宮本武蔵」で、5回は通読しているでしょう。

教理のお勉強については、今後の予定をここに記すことで決意表明とします。「バウッダ」、「大乗起信論」、角川ソフィア文庫「仏教の思想シリーズ」、中村元「龍樹」。こうしてタイトルを書き写すだけでワクワクしてきます。
天上天下唯我独尊。では、「無我」は?
天上天下唯我独尊。では、「無我」は?

珍しく小難しい話です。先日の護国寺参拝の際には、右手で上を指した「誕生仏」に甘茶をかけさせていただく機会がありました。言うまでもなくこのポーズは、生まれたばかりの釈尊が七歩あるいて言ったという「天上天下唯我独尊」にちなんでいます。たいていの宗教には教祖誕生にまつわる奇跡譚が存在するでしょうから、いちいち目くじらを立てることはない、ということはあります。しかし普通の感覚からすると「いくら釈尊とはいえ、生まれたばかりで『とにかく自分だけが尊い』とは偉そうだ」という違和感はありますよね。さらに。仏教の「法」=教えを端的に表したという「四法印」は「諸行無常」「諸法無我」「一切皆苦」「涅槃寂静」。初期仏教の教説をかじると3つはなんとなく分かったような気にもなるのですが、「無我」はなかなか手ごわい。「釈尊はブラフマン(梵)とアートマン(我)が同一であるとするインド哲学の『梵我一如』に対するアンチテーゼを提示した」という解釈もあるようです。こうなると「我」を、現代人が理解している「自我」と同一であるとする前提からして間違っていることになります。つまり釈尊の「唯我独尊」は「自分が偉い」と言っているわけではない、と。

自分なりに解釈しているところを浅薄なままに書いておきます(汗)。「我」とはつまり自分という枠組み(自我)に執着すること=「我執」であり、「諸法無我」はこれを否定せよ、との教えなのではないか。現代人に限らずいつの時代でも、ヒトが「自我の殻を破る」のは並大抵のことではないでしょうが。そして「唯我独尊」は、その自我を捨て去ったところに現れる絶対的な境地が、実は最終的にこの現在の「仮の自我」にもつながっている、ということを示している。そんなことを夢想するわけです。ああ、哲学的思考が基礎からなってないっすね。ちっともまとまらないや。大学の専攻が東洋哲学だったことは私の最高機密なんです。

もっと教理の勉強をしないとダメだな。
護国寺との佛縁
護国寺との佛縁

3月17日は冷たい雨の日でしたが、福聚講定例の護国寺参拝に8人が参集しました。4月8日は釈尊の生誕を祝う「花まつり」とあって、山門には早くも誕生仏と甘茶がお目見えしていたほか本堂でも準備が進んで、春が近いことを感じさせます。お参り前には甘茶も振舞っていただきました。

この日は福聚講の仲間と護国寺にいろいろなご縁があったことがわかりました。

私の自宅には体調を崩した義母が前日から滞在していたのですが、この日の朝、護国寺の参拝に行くことを告げたところ、「護国寺なら知り合いの夫婦が働いているのよ」と明らかにしました。茨城県S市の同郷で、ご主人が教員時代の同僚、奥さまは学校の同級生だ、という。「ご主人は教員を辞めて修行してお坊さんになったのよ。私の旧姓を言えばわかるはず」と。いつも本堂にいらっしゃっる方だろうと思い「小柄で丸顔の方ですか?」とアタリをつけたら、そうだ、という。そこでお参りの前の本堂で思い切って「S市ご出身のIさんですか?」とお聞きしたところ、やはりご当人です。「私はS市のM(義母の旧姓)の娘の連れ合いなんです」と明かすと、奥さま共々奇遇を喜んでくださいました。義母が前日から自宅にいたのでたまたま護国寺参拝のことを話しただけで、それがなければこうしたつながりを知ることがなかったかと思うと不思議な気がします。

また、講員のNさんはお父上が警視庁在籍時代に護国寺山門前の交番の勤務だったので護国寺には親近感を持っている、とか。さらに講元のT師は以前近くにお住まいでよく参拝に来られたほか、地元の方々と朝の鐘を撞く捧鐘会にはいっておられたというご縁。こうした護国寺の仏縁が我々を参拝に呼んで下さっていると感じたことでした。
キョロキョロ系で行こう!
キョロキョロ系で行こう!

タル・ベン・シャハー博士の「ハーバードの人生を変える授業」はなかなか示唆に富んだ良い本です。その冒頭に掲げられるワークが「感謝する」。曰く「ちょっとしたことでもいいので、毎日、感謝できることを5つ書いてもらう」という実験をしたところ、「毎日1~2分感謝する時間をとったことは思いもかけない効果をもたらしました。感謝できることを考えたグループは(中略)もっと幸せになって、意思が強くなり、エネルギッシュで楽観的になったわけです」。そして博士は「感謝することを毎日5つ書きとめる」ワークを推奨しています。

実はこのワークを去年から続けている私。モレスキンというフランスの高級ノートに万年筆を装着して常に持ち歩き(こうしたモチベーション維持の仕掛けがスキ)、日常のあれこれや「感謝」を日記風に綴っています。私なりに解釈しているこのワークの最重要ポイントは「キョロキョロすること」。シャハー博士も「今日はノートに何を書こうかと思って日々を送ると、ふだん起こるいいことにもっと気づきやすくなるからです」と書いていますが、とにかく常に鵜の目鷹の目で「何かに感謝してやろう!」と前のめりになっていると、ものごとを前向きに解釈するようになっていました。イヤなこと、落ち込むことも、視点を変えれば「感謝のタネ」になり得る。それで気分良く過ごすことができればシメタものです。

そして私にとってはこの佛道ブログにも同じ「効果」があるのです。ブログのネタ探しとして、見分するあらゆる事象を「佛道的な視点」で解釈する作業、これが自分の佛道の境地を深めてくれる。「では、なぜ1年もブログをサボったのか?」というツッコミはご遠慮ください。

これからも「キョロキョロ」して行こうと思っている次第です。
ついにスキンヘッド、の巻
ついにスキンヘッド、の巻

以前このブログでは、「バリカン2ミリの心意気」というタイトルで丸刈りにした経緯などを書きましたが、去年9月からはついにスキンヘッドになりました。会社の仲間などからよく聞かれる疑問とお答えは以下の通りになります。

「手入れが面倒でしょ?」
剃髪は隔日でやっているので、確かに面倒といえば面倒であり、顔剃りだけの日はホッとします。剃髪と顔剃りで10分から15分はかかっているでしょう。しかしバリカン時代には2週間ごとに床屋へ行っていた手間を考えると、感覚的には負担は同じくらいです。

「どうやるの?」
ジレットの5枚刃が大変快適です。詳しく書くと「ジレットフュージョンプログライドパワー」(長い名前!)と、シックの「薬用シェーブガード 爽快ジェルフォーム」(この名前も長い)を使うと「まるで滑るように」剃れるので、はじめはビックリしました。アタマを泡だらけにして、まず前頭部から剃り上げます。髪の生えている方向と逆剃りをするとツルツルになります。

「カミソリは怖くない?」
始めたばかりの頃は恐怖感がありましたが、最近のカミソリはまったくケガをしないようにできているようで、ニキビをひっかけた時以外は出血は皆無です。柄の部分を握るだけでなく、カミソリのヘッド部に人差し指を添えて固定すると安定感があります。

「剃り残しがでない?」
はじめの頃は鏡を使ったり、iPhoneアプリの「SLOW Mirror」(iPhoneのカメラ画像を時間差で表示する不思議なアプリ。数秒前が映るので、自分の後頭部を見ることができる。表示時間は1秒前から10秒前まで設定が可能。後頭部を見る、以外の使い道はまだ思いつかない)を使ったりしていました。しかし剃り残しは手でツルツルと撫でてやればすぐにわかるので、いまはこうした器具は使いません(耳の後ろは忘れがちなので注意します)。

「剃ったあとには何をつける?」
電気シェーバーの頃は「シーブリーズ」を20年以上愛用していましたが、最近は「ニベアフォーメン エクストラモイスチャーバーム」(どの名前も長いなー)にしています。匂いがお気に入り、肌のヒリヒリ感もありません。

「刃はどれくらいの頻度で交換する?」
正確に記録してはいませんが、9月からの6か月間で替刃は8個目なので、平均するとひとつの刃を3週間程度使っていることになります。替刃は8個入りで2175円(送料込み、amazon)なので、床屋通いよりもはるかに経済的です。

「寒くない?」
風をモロに感じるので「具体的に」寒いです。「2ミリ時代」よりもさらに。冬場はオフィスでもニットの帽子を被っているので、上司はニガい顔をしています。

「なぜ?」
出家もしていないのに「佛弟子の心意気で」というのもさすがにヘンなので、「ハゲちゃったからねー」ということにしています。カミさんはあきらめ顔、長男は「似合っているよ」、次男は無反応なので嫌われているのかもしれません。

自分のホンネとしては「凛々しい雰囲気が気に入っている」ということになります。
大仏とスカイツリー
大仏とスカイツリー

東京スカイツリーが竣工しました。テレビ各社の情報カメラも稼働して、いよいよ開業は5月。中に入ることができなくても実質的にはすでにすっかり東京の新名所。先日の関東36不動尊巡拝で隅田川沿いを歩いた際も、ガイドに連れられた中国人の団体さんが浅草側の土手から盛んにシャッターを切っているのを見かけました。
高さ634mは東京タワーのおよそ2倍、周囲を睥睨して屹立つするその存在感は圧倒的、そこだけ空気が凍りついているかのような神々しさすら感じます。そこで思い出すのが宮田珠己さんの傑作「晴れた日は巨大仏を見に」(幻冬舎文庫)。各地に立つ巨大仏が醸し出す不思議な光景を「マヌ景」として切り出した傑作でした。634mとまではいかなくても、人の形をした巨大建造物が突然ヌッと立っていれば確かにそれはかなり異空間になるのです。
それにしても東大寺の大仏を見た古代の人々の感覚とはどのようなものだったのでしょうか?様々な建造物がこれだけ大きくなった現代の我々にもあれだけの感覚をもたらす仏像です、彼らが受けたであろう「衝撃」はちょっと想像できない。そう、デカイことはそれだけでスゴイことなのです。
筋トレで腰痛が解消したこと
筋トレで腰痛が解消したこと

ブログをサボっていたこの1年間は、腰痛に悩んだ1年でもありました。思えば、震災前の宮崎出張で筋トレが途絶えてしまったのがきっかけ。ホテルのベッド上では力が抜けてしまうし、土足で歩いているホテルの床に腕や背中をつける姿勢にはどうしても抵抗感がある。そして震災後は、生活のあらゆる局面で「丁寧に生活する」という余裕がなくなっていました。
こうなると頼りにするのはマッサージ。2週間も行かない日が続くと腰がパンパンになっているのを実感、プロのマッサージ師に「今回も張ってますねー」と感心されるとなんだか誇らしい気分になったりしたものです。しかしマッサージというもの、腰は気持ちいいのですが、お財布にはかなり「痛い」。30分では物足りないし、60分となると最低5000円からかかる。記録を見ると3回も通った月もあるのですから、安い小遣いのサラリーマンには大きい出費です。
途絶えていた筋トレを再開したのは今年の1月でした。今となってはどういうきっかけで再開したのかも覚えていないのですが、なんと再開のわずか3日後には腰の痛みがすっかり軽くなり、その後もマッサージと縁が切れたままなのです。肩こりもほぼなくなっている。しかもウエストが明らかに締まったのでベルトの穴はひとつ分改善、脇腹を触ると以前よりカチカチの筋肉に遭遇するのも嬉しい。つまり「達成感」がモチベーションとなっている好循環で、毎朝「よし、筋トレだあ」と起き上がる気分はなかなかいいものです。そして身体の好調さは精神の積極性も生み出すのでしょう、業務での気力と集中力も伴ってきたように思うのです。あまり佛道とは関係ない話でスミマセン。
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テレ臭いけど気持ちいいこと
テレ臭いけど気持ちいいこと

福聚講仲間で巡礼に行く際に励行するのが参道(境内に限らず徒歩ルートすべて)でのゴミ拾いです。しかし、数歩ごとに腰を屈めるのはなかなか疲れること、ゴム手袋をするので手が汗まみれになることなどがあって、あまり楽しくない。なによりも、あからさまに「いいことをする」、これがなかなかテレ臭いのです。
ところが最近このゴミ拾いが好きになりました。きっかけは会社で任命されたCSR活動(企業の社会的責任)のプロジェクト委員。昼休みにゴミ拾いのトング(巨大ハサミ)を持って社屋の周りをおよそ1時間回ります。これがいい!なによりオフィスと上司の眼を離れて外の空気を吸えることの気持ちよさが大きいのですが、ゴミがみるみる集まる快感、トングのおかげで手も汚れず腰も痛くならない。ついには先ごろ通販で「マイトング」を購入、先日の仙台慰霊の旅では仙台駅周辺のゴミ拾いをやったのです。タバコを吸っていた頃には何も考えずに吸殻をポイポイ捨てていたことを思い出すと冷汗が出る思いです。きっかけをあたえてくれた会社には感謝しています。「テレ臭いけど、気持ちいい」、この感覚は電車でお年寄りに席を譲った時のものと似ています。みなさんも如何でしょうか?
しかし私も自宅の周辺ではまだ踏み切れていません。公園でビニール袋などが落ちているのを見かけるとムズムズしてきちゃうのですが、「ご近所の目があるからなあ」と。悪いことでもあるまいに、不思議です。
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