ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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ポリ袋いっぱいの幸せ
ポリ袋いっぱいの幸せ

7月から泊り勤務が週末になり、自動的に休みは平日になりました。家族持ちとしてはなかなか厳しいシフトなのですが、冷静に考えると子どもたちには塾や友だちとの付き合いがあり、週末ごとに親に付き合ってくれるものでもない。かえって親の方が「子離れ」をしていないのかもしれないな、と反省したところです。

そこで平日の持て余した時間を関東36不動尊巡拝の穴埋めにあてています。これは福聚講の仲間と去年から月に一度のペースで始めたものですが、私は震災に伴う業務の変化で途中の数回に参加できないままになっていました。仲間が今月にもいよいよ結願の予定になることもあり(最終回も週末なのでやはり私は参加はできない)、この機会に抜けていた部分を廻ってひとりでの結願を目指すものです。仲間との巡拝では目的とする寺の最寄駅に集合、和気あいあいと参拝、さらに帰路には打ち上げなどもある楽しいものですが、なにしろ一人ではそれはない。淡々と電車に乗り、淡々とと参拝するだけ。一人では「南無大師遍照金剛」の白衣を着るのもいささかの抵抗感がありますが、仲間とやっていた沿道でのゴミ拾いも当然ながら一人での作業で、はじめのうちはこれが気恥しかったものです。
それにしてもその気になってキョロキョロすると、吸殻やゴミは「無尽蔵」と思えるほどに落ちている。特に駅周辺の商店街・バス停・交差点はすごいので、経路によってはすぐにポリ袋がいっぱいになるほどです。ひとつひとつが小さいだけに罪悪感も少ないのでしょうね。特にひどかったのは先日行った23区北部のある地域。ここに限らず中途半端な都市型郊外はどこでも似たようなものなのかもしれないのですが、ポリ袋がいくつあっても足りない、道中はサッパリ進まない。途中からは吸殻の回収は省略させていただきました。「公衆道徳がなってない」とアキレるのは簡単ですが、地元への愛情の欠如と見れば、それはなかなか淋しい荒涼とした風景だったのです。

汗だくになって袋が膨らんでくれば「この分量だけ街がキレイになった」という実感が味わえます。そして往路キレイにした道を戻ればそれは最高に気持ちがいい。「ご苦労様」と声をかけていただくこともあります。先日の横浜では車の男性が声をかけてくださいました。「個人でやられているのですか?」「まあ、そんなものです」「修行のようなものですね」「まあ、そんなものです」というやり取りになりました。褒めてもらうためにやっているんぢゃないからなあ、という気持ちがあるのでついぶっきら棒な応対をしてしまったのですが、やはり「見ていてくれた」のはうれしいものでした。
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