ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--/--/--(--) --:--:--| スポンサー広告| トラックバック(-) コメント(-)
「お迎えがくる」の質感
「お迎えがくる」の質感

「お迎えがくる」という言い方は、少なくとも私の周辺では最近あまり耳にしないような気がします。ましてや子供たち世代にとっては「夕方になって保育園にママが来る」以外の用例がわからないだろうなあ。ちなみに最近の子供に「電話ボックスにべっとりと血糊が・・・」などという怪談噺をしても、そもそも「電話ボックスって何?」というオチになるそうです。我が家の小3次男も電話ボックスとは公衆電話の機械本体のことだと思っていました。まあ、四角いからね。

高野山の霊宝館で「国宝 阿弥陀聖衆来迎図」を拝見したことがあります。真言宗の根本仏は大日如来さまなので、阿弥陀如来信仰はメインストリームではないはずで、比叡山にあったのものが戦国時代に高野山に「流出した」という逸話があるらしい。こうした経緯を知らずとも、この作品にはなんともいえない凄味を感じます。霊宝館のHPでもざっくりした構図は確認できます(別の画像もネットで見つけましたが、著作権のことが分からないので転載は控えました)

http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/kaiga.html

この来迎図の凄味の源泉は、ズバリその質感です。阿弥陀さま信仰に熱心ではない私でも、「ああ、臨終の時には阿弥陀さまはこんな感じでお迎えにいらっしゃるのかもしれないなー」と納得してしまう「説得力」があるのです。雲に乗った阿弥陀さまの神々しい表情と、従っている聖衆のバランスがなんともいえない。いや、阿弥陀さまを熱心に信仰していればこうしたお姿が「見えて」、恐れを抱かずに往生できるのでしょう。ありがたいことだと思います。

是非実物をご覧いただきたいのですが、高野山でも数年おきにしか展示されないらしい。たまたま拝見した私は幸運だったことになります。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。