ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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毎週集まることの素晴らしさ
毎週集まることの素晴らしさ

親族の葬儀がカトリックの教会でありました。故人は36年前にカトリックの洗礼を受けていて、改めて見回してみると私の周囲にはカトリックの信者さんが多いのです。大学の神学部に入り直して神父さまになった友人もいて、彼は故人とも親しかったので、今回の葬儀の司式の一員にもなってくれました(用語が間違っていたらスミマセン)。信仰して通っていた教会で親しかった神父さまたちや信者さん仲間に見送っていただく葬儀というのは、それはそれは素晴らしいものでした。

ごく卑近な見聞からの物言いになりますが、現代の東京にあって毎週信者が集まって祈りを捧げるということを律儀に守っているキリスト教の教会というのは、なかなかに稀有な存在かもしれません(もちろん毎週通う方は限られていて「幽霊信者」さんも多いのでしょうが)。いや、待てよ。創価学会さんは頻繁にお題目や勉強会をやっているのか。そういえば高輪には仏教系の新興宗教さんがあって、毎週自家用車がわんさかと集まっているゾ。なんだ、「信仰の確認」に熱心でないのは既成仏教の方なのか。

ここでは「葬式仏教に安住した既存教団のありかたは堕落だ」という論旨もあり得ますが、「家の宗教」と「個人の信仰」の違いを見ることができると思います。「家が真言宗だからお葬式も自動的に」という人には毎週参集する祈りの場は不必要、いや、かえって鬱陶しいだけでしょう。しかし個人としての信心が芽生えていれば、毎週仲間で集まることは本当に素晴らしくありがたいことになる。つまり「個人としての宗教」に出会っているかどうかです。

私の佛道については、「自己紹介」カテゴリの「佛道との出会い」でも書いたように、やはり個人として「出会った」ことがきっかけで、「家の宗教」ではなかった。だから「毎週参集するキリスト教会のあり方」が羨ましく見えているのです。かといって「では学会さんへ」という選択肢はないようです。
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2010/12/23(木) 22:12:05 | | #[ 編集]
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