ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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それは宗教的に公正な表現ですか?
それは宗教的に公正な表現ですか?

最近年末に訪れていないのでデータが古いかもしれませんが、東京ディズニーランドのアトラクションで気になったこと。「イッツ・ア・スモールワールド」(学生時代にアルバイトをしていたが、その際仲間うちでは『イッツモ』と呼んでいたものです)は世界の様々な地域の子供の人形が「世界はひとつだよ」と謳いあげるなかなか楽しいアトラクション。さらに年末が近づくと毎年スペシャルバージョンに衣替えするわけですが、ここで繰り返されるのが「メリーXマス」の羅列です。しかし、世界中の子供たちが一様にクリスマスを祝うわけではないのは自明の理。確かに「世界はひとつ」だろうが、それは文化・宗教の多様性を尊重した上でのお題目でしょう。こうした神経がなんともアメリカ的、ディズニー的な気が…。911同時多発テロ以降、年末カード交換の賀詞も「メリーXマス」ではなく「Happy Holidays」と書く人が増えたというではないですか。

この例は宗教上の問題ですが、このように「用語の使い方に敏感になりましょう」という運動を「ポリティカリーコレクト」(政治的公正運動、とでも訳すのかな)と言います。例えば日本で「看護婦」を「看護師」と言い換えるようになったのもこれ。英語でも「チェアマン」は「チェアパーソン」、「ファイアーマン」は「ファイアーファイター」、「ブラインドタッチ」は「タッチタイピング」と言い換えられるようです。この運動には批判もあり、「言葉狩りだ」「言い換えるだけで実体が伴わないことには仕方がない」などの声も。日本語版も出た「政治的に正しいおとぎ話」では「白雪姫と7人の小人」を「白雪姫と7人の垂直方向に試練を受けている人々」としているらしいのですが、これはもちろんやり過ぎを皮肉っているものですね。「マンホール」だって「パーソンホール」とは呼びにくいし。何事も杓子定規は避けてほどほどがよろしいようですが、それでも、当初は違和感がある言い換えも慣れればどうということもない。やはり「どう見ても不公正な言い回し」は避けるのが人類の叡智、ってものでしょう。
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