ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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死生観(その1)
死生観(その1)

「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」。これは曹洞宗の宗祖・道元禅師「修証義」の冒頭部分です。佛道に帰依することを公言している私。生と死をどう考えるのか、折に触れて書いてみることにしました。死を考えるのは生を考えることです。一応タイトルは「第1回」としましたが、2回目以降が続くかどうかはわかりません。

朝日新聞社の今田俊さんが書いた「無菌室ふたりぽっち」を読みました。白血病に冒された新聞社勤務の30代男性の闘病記です。もちろん「生還」したから本が出版されているのですが、ここにはもうひとり、ほぼ同じ時期に同じ病気に罹って亡くなった若い同僚カメラマンも登場します。「ふたりぽっち」というタイトルはこのカメラマンの顛末を意識したものです。余談ですが、新聞記者さんによる書籍というのは、その簡潔な文章のリズム感が心地よく、読みやすいことが多いと思います。

幸い命にかかわるような大病をしていない私、これまでは闘病記というものをあまり読んだことがなかった。そして闘病記が「面白い」のは(人の病気を愉しんでいるわけではないのでこの表現には誤解なきように)、病気に罹ることによって筆者に突き付けられた死生観(人生観)が生々しく描かれているためだ、と気がついた次第。しかもこの本の著者はほぼ同年代で職業も似通っているだけに、感情移入はさらに容易でした。白血病や骨髄バンクの最新事情についても大いに勉強になりました。

私は現在40代後半。そろそろ同級生の訃報をぽつりぽつりと聞く年齢になっていますが、まだまだ「自分の死」については実感をしていません。佛道を学び、個人の肉体の消滅を超えた「大いなるいのち」のありようを少し意識できるようになってきましたが、それでも、もし余命が宣告されるような事態に陥った場合、「生」への執着はものすごいことになるのではないか、そのことがとても「怖い」と思っています。もし佛道への帰依によってその執着が変わるものなら、それは大変ありがたいことです。

「無菌室ふたりぽっち」のあとがきの中で著者は「『病気になって人生観が変わったか』とよく聞かれます。答えは『変わらない』」としています。しかし退院後には徒歩での四国遍路を始めているようで、本人は意識していないのかもしれませんが人生観がまったく変わらなかったとは言い切れないのではないかなー。四国遍路は「同行二人」、本のタイトルの「ふたりぽっち」に通じるものがあって、著者もそこをほのめかしています。

うう、やはり全然まとまらないや。容易にまとまるはずもない遠大なテーマであることはよくわかりました。
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