ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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「お遍路さんってなんのためにするのですか?」
「お遍路さんってなんのためにするのですか?」

ブログ開設の告知を友人に行ったところ、早速読んでくれたカトリック信者の旧友からこんなメールが舞い込み、思わず「うーん」と考え込みました。

なんでだろ?

友人のこの質問は、キリスト教側からの批判的な文脈からではなく、純粋に知識としての質問です(おそらく)。知識としての回答ならば「お大師さまが回っていらっしゃるから」「結願する(すべて回り切る)と功徳がある」。あるいは「自分さがしの旅」という人もいるかもしれません。しかし友人の問いに私がまず思ったのは、「考えたこともなかった」(笑)。せっかくの機会だから考えてみました。

遍路の旅程は全長およそ1200キロ、と言われています。私の場合、一日の行程は標準25キロ(ちょうどいい地点に宿がない場合はこれが伸びたり縮んだりする)。休憩も考慮すると平均時速は4キロ、つまり毎日6時間になります。さらに札所(参拝するお寺)では、参拝や御朱印をいただくので30分かかる。距離に換算すると2キロですね。これが48日間。この間ひたすら歩き続けるのですから、これは確かにすごい。目的は88か所あるお寺にお参りすること、それだけ。中学生の息子に言わせれば、「意味ねー」ってことになるのだろうと思います。

しかし「意味」とはなんでしょう?ひとは「意味」がないと行動しないのでしょうか?では、人生において「意味があること」って一体なにがあるのでしょう?仕事?子育て?快楽?「趣味」に意味はあるのか?そして「信心」の意味って?

いまはこう思っています。一見すると意味がないようなことでも、続けることで意味はあとからついてくるかもしれない(ついてこないかもしれない)。そして私にとっては、佛道精進には引き寄せられる「何か」がある。しかし、それは言葉にはできない。つまり「なんのために生きるのか?」に答えられないのと同じなのです。そう、「お遍路は生きること」。

うーん、カッコよすぎますかね?
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2010/12/05(日) 23:45:01 | | #[ 編集]
Re: 素人考えですが…
コメントいただきまして、ありがとうございます。
本ブログで初めてのコメントです。

公開させていただきたいのですが、ちょっと方法が分からず・・・・

これからもよろしくお願いします

日々是佛道
おんあびらうんけん
2010/12/06(月) 13:15:08 | URL | onabiraunken #-[ 編集]
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