ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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哲学的なアタマとは?
哲学的なアタマとは?

前回の記事を書いたことで、自らの教理の不勉強ぶりを痛感。書棚を再チェックして、とりあえず「入門 哲学としての仏教」を読み始めました。そこで驚いたこと。1回目に挫折してそのまま放置していたこの本なのですが、これまでのところスルスルと理解できるので、面白くて仕方がない。思うに、この現象はにわかに哲学的思考が身についたわけでは決してない。わからないままながら以前読んでいたことが「効いている」のでしょう。「挫折ポイント」から先の未知なる世界はどうなることやら・・・。

読書とは不思議なものです。小説などは読んでいるときにはすっかり楽しんでいるのですが、ひとたび読み終わると「面白かったなー」という感覚だけが残り、細部のほとんどは忘れてしまう。そして縁あって再読、三読する本は理解度が飛躍的に高まる。魏志に曰く「読書百篇 意自ずから通ず」。だから中年になった今では、あれこれと読み散らかすよりも、自分にとって大切だと思う本を再読するようにしようと思っています。ちなみに人生でもっとも繰り返し読んでいるのは吉川英治「宮本武蔵」で、5回は通読しているでしょう。

教理のお勉強については、今後の予定をここに記すことで決意表明とします。「バウッダ」、「大乗起信論」、角川ソフィア文庫「仏教の思想シリーズ」、中村元「龍樹」。こうしてタイトルを書き写すだけでワクワクしてきます。
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