ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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佐々木閑先生へのラブレター
佐々木閑先生へのラブレター

「中央公論」5月号の特集は「宗教は日本を救うか」。特に面白かったのが佐々木閑氏と佐倉統氏の対談「輪廻の説と進化論」でした。佐々木さんは京都・花園大学(禅宗系)の教授で、私は名著「日々是修行」の新聞連載当時からの大ファン、このブログのタイトルもそこからパクらせていただいております。というか、ブログの存在自体がパクリなのかもしれない、それほどお慕いしております。

とにかくおっしゃることがいちいちカッコイイのですよ、佐々木氏は。「人の偉さは、一時の華々しさでなく、日々の誠実さを一ずつ積み上げていく、その確固とした道程に現われるのである。」(日々是修行84ページ)、シビレちゃいます。写真で見るお髭のお顔もダンディ、去年はNHKで原始仏教の基本的経典「ダンマパダ」の解説もされていました。

「中央公論」ではこんな発言も。「人間には、聖なる場所、空間が必要でしょう。宗教は科学と違って正否がはっきりしませんが、私は人の一生を支える杖になるものであれば、その中身がどういうものであろうと、その宗教は良い宗教だと思っています。もちろん、その人にとって、という限定が必要ですが。」「ただ、こういうことも言えます。一人の人間が生まれてから死ぬまで、一つの宗教で通さなければならないとは誰も決めていない、ということです。だから、その人の、その時の状況に応じて、支える杖になるものが変わっていくのは当たり前だと思います。」

そう、人にはそれぞれにふさわしい杖があるし、それが本人の中で変遷するのは当たり前なのかもしれません。そして、宗教に限らずカネ・出世・名誉といった世俗の"尺度"も「杖」としての役割では同一の地平にいる。どれも一概に否定できないし、ひとつだけに執着する生き方はどうにも貧しい気がするのです。この気づきを佐々木先生から教えられました。

それにしても、「日々是修行」の続編は出されないのですか、佐々木先生?

<追記>
5月に東京で開かれる佐々木先生ご出席のイベントをwebで発見、申し込みました。初めてお会いできることになりそう、ワクワクしております。
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