ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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最近、呼ばれていますか?
最近、呼ばれていますか?

なんでもキリスト教では、召命(しようめい)ということを言うようです。「神様に呼ばれている」という意味ですから、信仰している人にとってこれは大きい問題だろう。一神教ではない仏教ですが、「ご縁」と言われるものも概ね同じものかもしれません。個別にはもう忘れてしまいましたが、私にも40歳を過ぎて佛道に再邂逅した際には「何かに呼ばれている」という感覚が確かにありました。現代の日本で「私は呼ばれている」ことを積極的にカミングアウトすれば大概の人は引いてしまうだろう、くらいの冷静さもまだありますので、こうしたことはこの匿名のブログでしか書きませんが。しかし、この「呼ばれている感」もなかなかのクセ者です。「呼ばれている」と感じることは即ち「聖なるものに選ばれた」という『エリート意識』を惹起するものです。「呼ばれている安心感・優越感」に安住してはいけない。

大乗仏教では衆生のために実践することを課せられた「六波羅密」(ろくはらみつ)というものがあります。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の6つで、詳しい説明は今回はしませんが、肝心なことは「 呼ばれたことには感謝する。そしてそれを衆生のために生かす」態度だろうと理解しています。「阿弥陀仏の西方浄土(極楽)に往生する」ことを目指している浄土系仏教でも「その極楽浄土から戻ってきて衆生を救いなさい」という教えがあるそうです。「往きっ放しではいけないョ」、そう説く姿は尊いものだと思います。
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