ある在家仏教信者の心意気とサラリーマンな日常
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幸せのモデル
幸せのモデル

NHK「ニュースウォッチ9」。先代のなんとかいうキャスターはありきたりで空虚なことをNHK的尊大さ丸出しで吐きやがるので(汚い日本語になってスミマセン)、利害関係がないこちらまで腹が立つやら悲しくなるやら、はっきり言ってたいへん不愉快だったのです。それに比べて現在の大越健介キャスターはなかなか鋭いことも言ってくれますし、そのソフトな語り口も好きなのですが、大学時代からの友人は「ピッチャーだったあの大越だよ」という。調べてみると東大のエースでほぼ同年代、ということは母校の応援に通った神宮の対戦校のマウンドで何回か見ていたわけです。さっぱり覚えていなかったけど(私は東大卒ではありません)。その大越キャスターが石垣島で俵万智さんと対談した日のNHKをたまたま自宅で見て、俵さんが早大アナウンス研究会のアルバイトとして六大学野球のウグイス嬢をしていたことを初めて知りました。こちらも声を聴いていたことになるなー。

先日、俵さんが日経のコラムでその対談のことを取り上げていました。そこで印象に残ったのが以下のくだり。長くなりますが引用します。「子どもに関して言うと、かつては『人に迷惑をかけない、自立した人間』になってほしいと願っていた。が、震災後は『迷惑はかけないほうがいいけれど、かけてしまうときには、周りからそれを許される人。自立も大事だけれど、人は結局一人では生きていけない。ならば、困ったときに助けてもらえるような、人とのつながりを、うまく築ける人』になってほしいと思うようになった。」うーん、考えの浅い私は、「子どもにはまず自立した人間になってほしい」と願っているだけでしたが、さすがは歌人・俵万智、いいことを言うものです。

同じコラムのおしまい部分で俵さんはこう書いていました。「大越さんや私は、子どもの頃は高度成長期、その後のバブルも経験した。幸せのモデルが、わかりやすい時代だった。今は、そういうモデルはない。だからこそ、人から見てではなく、自分が何を幸せと感じるかが問われているのではないかと思う」。私もその世代です。そして、無意識のうちにその「モデル」を我が子に押し付けているかもしれない、と思いながら、規範とすべきモデルをほかには知らないのです。「たとえどんな逆境にあっても、『自分の幸せ』を見つけることが大切」ということは知らせたいのですが、「幸せはカネでは買えないが、カネは不幸を遠ざけてくれる」のもまた真理だと思っています。佛道で「布施」のひとつとして財産を施すこと(財施)を奨励しているのもこのためです。「カネなんて幸せにはまったく関係ない」という態度があるとすれば、それは偽善でしかありません。

学生時代の友人から「金沢へ転勤する」という連絡をもらい、急きょ送別会的飲み会の音頭をとることになりました。思えば私の人生、小学校も中・高も大学も、ほとんど同窓会というものが行われない。なんとも薄情なものですが、自分で率先して仕切ることもしないままアラフィフになりつつある。上記の友人は業界就職のための大学横断的勉強会つながりなので、せめてこういう機会に同期会くらいはやろう、ということです。決してこれは俵さんがいうところの「困ったときに助けてもらえるようなつながり」という実利的な目論見からではありません。我々も社会に出て20年以上、「元気に懐かしく顔を合わせられることのありがたさ」をしみじみ感じられるような会にしたいものです。

今週末の神宮は恒例「春の早慶戦」です。大越投手や俵さん、そして私が青春を過ごした現場のワクワクした熱気を実感させたくて高校生の長男を誘っていますが、単純に迷惑顔をされています。ひとりで行こうかなー。

<追伸>
本稿は俵さんの名言をきっかけにマインドマップを駆使して書きましたが、論旨が全然まとまりませんでした。マインドマップも使いよう、だな。
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